最近は緊急事態宣言の影響もあり、YouTubeの動画をたくさん公開している。
そしてこのブログのように、ブログも週に何回か更新している。今回はその棲み分けの話を書いてみたい。
ブログとYouTubeの棲み分け
私はブログもYouTubeもどちらもやっている。
YouTubeはこちら。ブログは、このRonnieBlogと鹿島のブログ。
YouTubeを初めた当初は「どちらのメディアで何を発信するべきなのか?」という事が分からなかった。
ついでに言うとTwitterとInstagramもやっているので、「どこで何を発信するのか?」というのは更に難しい。
YouTubeを始めた当初はとりあえずYouTubeのチャンネル登録者1000人というのを目指していたので、そこに到達するまでは殆どのコンテンツをYouTubeから発信した。(YouTubeはチャンネル登録者1000人以上でないと広告を貼れない)
しかしチャンネル登録者が1000人を超えると「ブログで発信してもYouTubeで発信しても良い」という状態になった。
そうなると、コンテンツの棲み分けというか、そういう判断をしなければならなくなる。
これが難しい。メチャクチャ難しい。
初めは工数を考慮した
初めは工数を考慮して発信するメディアを選んだ。
YouTubeの方が「喋り」なので、細かいニュアンスや補足を1秒くらいで出来るし、「喋っても喋らなくてもいい事」みたいな事も15秒や20秒くらいで出来ちゃうので、より細かく意図や気持ちを伝える事が出来る。その代わりに編集や撮影に工数がかかる。
一方のブログでは、余計な言葉や補足は鬱陶しいので、なるべくシンプルな言葉遣いで、むしろ余計な言葉を削いでいく感覚でコンテンツを作っていく。工数的な話ではブログが有利で、ほんのちょっとした空き時間で文章を書くことが出来る。その積み重ねで1つの記事を書けたりする。工数がYouTubeに比べると半分くらいだと思う。
こんな感じで、「時間がある時はYouTube、時間が無い時はブログ」という感じでの運用が続いていた。
コンテンツ主体のメディア選び
しかし本来、工数でメディアを選ぶというのは本質的じゃない。だって読む人や見る人に私の忙しさは関係が無いから。
だから「文章で伝えたい事」と「映像で伝えたい事」をちゃんと切り分けて発信するべきなのだと思う。最近はその事をよく考えている。
文章で伝えたい事
まずは文章で伝えたい事。
私の持つメディアで言えば、ブログとTwitterがこれに当たる。
私は元来、動画で喋るのは得意じゃないので文章メディアの方が向いていると思っているのだが、「文章で伝えたい事」って実は難しい。
ここまで動画メディアや音声メディアを個人が発信出来る時代になると、文章である必然性は下がっていく一方だ。
Googleさんも文章のコンテンツよりも、映像や画像コンテンツを好む傾向がある。
そんな中で「言葉」や「文章」に意味を持たせる事っていうのは存外に難しい。
私の場合は、今の時代のブログの文章はやはり「論理的である事」に価値があると思ってる。
前述の通り、ブログの文章は余計な言葉を削ぎ落としていく。必要な言葉たちで1つの文章を構成する。
それぞれの言葉が無駄なく1つの生命体のように繋がっていくのが文章の美しさだと思う。
読む人にもその美しさは伝わると思う。これを動画でやるのは、むしろ動画の良さを削る事にもなるので、文章である事に意味があると思う。
だから私はやっぱり文章では「ロジック」をメインに据えたコンテンツを発信していきたいと思う。そのような棲み分けにしたい。
映像で伝えたい事
一方の映像でメインに据えるモノは、ロジックとは少し違う。
むしろ映像で発信するコンテンツの中には、ちょっとした感情であったり、ちょっとした無駄な話であったり、そういうのが必要だと思ってる。
必要な言葉だけをマシーンのように話す動画に人は興味を示さない。
最低限のロジックは必要だけれど、映像ではそれ以上に”感情”が重要だと思ってる。
昔、園子温という映画監督が「報道は事実を伝えるもので、映画は感情を伝えるもの」というニュアンスの事を著書に書いていた。
私の映像コンテンツも、このような思想に近い。
今、何を感じたのか。今、何を思ったのか。今、どんな気持ちになったのか。
それを出来るだけYouTubeではアーカイブしていきたいと思ってる。
誰かに何かを伝えたいというよりは、むしろ感情を共有するような、そんな意図でコンテンツを作っていきたいと思う。
これからもよしなにコンテンツを追加していきます
と、こんな感じでブログもYouTubeもよしなにコンテンツを追加していきます。
2021年はブログを100本、動画を100本くらい公開できたらいいなーと思ってます。
気になったコンテンツがあれば、覗いてみてもらえると嬉しいです。