2011年。就職活動していた頃の回想を綴ってみる

パブリックバルで働く大学生と、就活の話をした。

その子は大学3年生で、就活の事を真剣に考えなければいけない時期らしい。そして、どんな企業にエントリーすればいいのか悩んでいるらしい。

俺にできる有効なアドバイスなんか無いなぁとは思いつつ、昔の事を回想した。

どうせならどこかの誰かの役に立つかもしれないので、ここに就職活動の回想でも記してみようと思う。(っていうのは嘘で、パブリックバルにお客さんが来なくて暇なので駄文でも綴ろう。)

自分の就職活動経験談

私が大学から就職をする時、世の中は就職氷河期と言われた時代だった(リーマンショックの影響などなど)。それなりに名前の知れた大学を出ても、1社も内定をもらえない人なんてザラにいる時代で、とにかく皆が内定をもらう事に必死だった。

私も当然、ある程度の努力をして就職活動と向き合った。

その時の私は「未来を感じる」という事を就職活動において大切にしていた気がする。

何と言えばいいのか分からないけど「いわゆる普通のサラリーマン」みたいな大人には、その時の私はなりたくなかった。画期的なサービスに挑戦していたり、未来に投資をしている(ように見える)会社を選びたかった。そんな会社が魅力的に見えたし、自分に合っているとも思った。いわゆる保守的な雰囲気というか、そういうのがとにかく好きではなかった。

例えば細かいところだけどエントリーシートに紙(手書き)を採用している会社には、なるべく行きたくなかった。面接官が一様に地味なダークスーツを来ている会社にも、なるべく行きたくなかった。

その細かい1つ1つに、私の思い描く「魅力的な未来」を感じなかったのだと思う。

そんな中で、東日本大震災っていう、まぁ私の人生の中で最もインパクトのある災害が起きてしまった。

茨城も被災し、馴染みのある福島も大変な被害を受け、東北も大変な状況になった。

もちろん就職活動は企業側からストップ。就活をできずに、テレビやSNSを通して被害の状況に心を痛める日々が続いた。

この時ばかりは相当メンタルも動揺していて、「就職活動が再開したとして、私は普通に就活をしていて良いのだろうか?」みたいなよく分からない事まで考えていた。パニックで思考力が低下していたのだと思う。

この時のパニックの経験は今も生きている。

人は未曾有のアクシデントに見舞われたら、思考力が低下する。今の新型コロナウィルスに関するトラブルのアレコレも同様だと思う。

自分ではどうすることも出来ない事象に人間はすこぶる弱く、そんな時に思考力が低下して、人間の一番弱い所が表出する。

私は少なくともそれを震災で学んだので、今回の新型コロナウィルスに対するアレコレには落ち着いて対応している(と思ってる)し、これからもしていきたい。

非常事態では何が正解なのか分からない。だから特定の思考に偏って、違う意見の人を責める事は少なくともしない方が良い。それが一番知的で、賢い。答えは5年後、10年後にやっと分かる。それが未曾有のアクシデントの特性だ。

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話が逸れた。

就活が再開して、必死こいて就職活動に励んで、なんとか何社か内定をいただいた。第一志望の会社でも第二志望の会社でもなかったけれど、それでもあの状況で内定を貰えただけで最低限のミッションはクリアしたつもりになっていた。

複数社から内定をいただき、初めて自分が選ぶ側の立場になった時に、前述の「未来を感じるか」というところを基準にした。

今振り返ってみても、会社の大小ではなく、サービスの認知度でもなく、給料でもなく、「未来」を基準にしたのはあながち間違いではなかったとは思う。もし今の私が就活をするにしても、エントリーシートを手書きで提出させる会社には死んでも入りたくない。

ただし、当時の私は資本関係やらビジネスモデルやらは全くすっ飛ばして企業を選んでいたので、かなり危ない橋を渡っていたな。という思いもある。幸い就職した会社はヤバい会社ではなかったけれど、ヤバい会社を選ぶリスクもあったなという気持ちはある。

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小さな会社で学んだこと

私が選んだのは小さな会社だった。入社時点では100人に満たない会社。BtoCのEC系のサービスを展開する会社だ。

そこに新卒の第1期として迎えられた。

当時の自分はまだ全然何も出来なくて、PCもちゃんと触れない赤子のような状態だった。

配属されたのはたった3人のチームで、年齢の近い先輩方と一緒に、赤ちゃんのようなサービスを成長させるために何から何まで対応した。

たくさん営業にも行ったし、整っていないデータベースを細かく整える地味な作業もしたし、データマイニングもしたし、グラフィックのデザインもしたし、サービスの設計もした。入社当初は、何千という商材に不備が無いかを一つ一つ確かめる、途方も無く地味な作業もやった。

人が少ないからこそ色々とやらせてもらったお陰で、WEBの知識のアレコレは結構身についた。

サービスの成長とともに私自身も成長できたので、そこを選んで良かったなと思っている。

もっと大きな会社だったら私の業務は限定的だっただろうし、身につけたスキルの幅も狭かっただろうと思う。

一方で会社自体のネームバリューは当時は皆無だったので、合コンで「どこで働いてるの?」と聞かれた時に誰にも理解されなかった事は往々にしてある。別に私は理解されない事には抵抗が無いのだけど、合コンには何故かネームバリューを気にする人間がいて、当然そのような人と話は合わなかった。

まぁ小さい会社である事にはメリットもあったし、世間一般的にはデメリットもおそらくあったのだろうと思う。

けれど私にとってはほとんどデメリットと感じる場面は無かった。

むしろ会社が成長して、人数が増えて、自分がコントロールする業務の範囲が限定的になってくると、つまらなさやストレスを感じてきた。

私はおそらく「自分がコントロールできる業務の範囲」というのを気にする人間なんだと思う。

それは就職活動のときは気付かなかった事。

あれもやりたいし、これもやりたい。それの実行に制限をかけられる環境ではなくて、ハイリスクかもしれないけどチャレンジできる環境が好きなのだと思う。

結果的に、小さな会社に入ってよかったのは、まさしくそこのストレスの少なさだった。

だから多分、小さな会社から更に独立して、より小さなたった2人の会社を始めたんだと思う。

自分のアクションに制限をかけないで、行ける所まで、できるだけ遠くまで行きたいと思う。

あれ、何の話か分からなくなってきた。

これは決して「小さい会社が良いよ」というブログではない。むしろ、自分が働く上での基準と譲れないものって何だったんだろう。という極めてパーソナルな気持ちを書いただけのもの。

もしこれを読んでるあなたが就活をしているならば、私の言葉なんかは参考にしないで、自分と対話するのが一番ぜよ。という話でした。

またどこかで続きを書くかも。

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