あなたは魚豊という漫画家を知っているか?

  • 2020-12-11
  • 2020-12-11
  • 漫画

『チ。-地球の運動について-』

また面白い漫画が生まれた。

ここ数年の中で私が最も胸をえぐられるような気持ちになった漫画『ひゃくえむ。』の作者である魚豊(うおと)先生による新作。

初めて、かもしれない。RonnieBlogで本気の漫画レビューをしてみようと思う。

『チ。-地球の運動について-』

とりあえず、今回紹介したい『チ。-地球の運動について-』という漫画について電子書籍で立ち読みでもしてみてほしい。話はそれからだ。

私は魚豊先生の漫画が大好きだ。2作目(読み切りも含めると3作目)を読み始めて、その思いは強くなった。
『チ。-地球の運動について-』は小学館・ビッグコミックスピリッツで連載されている漫画。本日12/11に第1巻が出たばかり。
(ちなみに私は魚豊先生の回し者じゃないし、小学館の回し者でもないので安心して読み進めてほしい。本当にこの漫画が好きなだけの人。)
この漫画は地動説をテーマに描かれている。
地球を中心に天体が動いているのか、地球が太陽の周りを動いてるのか、みたいな有名なアレを題材にした物語である。
で、私は地動説とかは正直どうでもいい。いや、テーマとしては興味深いし面白いんだが、テーマ以上の所に魚豊先生の漫画の面白みがあると思ってる。
それをもう少し詳しく書いてみたい。
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前作『ひゃくえむ。』

魚豊先生の漫画の面白みを語るには、まず前作の話からする必要がある。『ひゃくえむ。』という100メートル走を描いた漫画だ。講談社のマガジンポケットで連載された漫画。

で、この漫画がメチャクチャ面白い。

100m走ってのは、普通に考えれば漫画の題材には向いていない。

劇的な3Pシュートは打てないし、豪快なオーバーヘッドキックも描けないし、逆転満塁ホームランも描けない。

100mを走る。画としては、ただそれだけ。

極めてシンプルなスポーツゆえ、漫画にするのは難易度は高い。

でも、繰り返すがこの漫画はメチャクチャ面白い。面白いんだけどそんなにヒットしなかった。本当に世の中の人はセンスが無いな。と去年思った気がする。鬼滅の刃とか読んでる場合じゃねーよ?と去年思った気がする。

『ひゃくえむ。』の話に戻ろう。

『ひゃくえむ。』の素晴らしい所は、つまり哲学的な所だった。

100m走で、たった10数秒くらいで決着がつくその競技で、全てが変わると思っている少年。その少年にあこがれて、同じ世界を覗いてみたいと信じた少年。

ハッキリ言ってしまえば、100m走が速かろうが遅かろうが読者の私にとってはどうでもいい。どうでもいいんだ。誰かが勝つし、誰かが負ける。どっちが勝っても別に良い。

その上で、魚豊先生はその事を理解しているから面白い。だから「なぜ走るのか」という洞察を深く入れ込んでくる。

なんで100mを全力で走るの?なんで速くなりたいの?

という所に切り込んでいる。

人によっては現実に追いつかれないように100mを全力で走るし、人によっては承認欲求のために走る。

その理由はさまざまだけど、「逆に100メートルを全力で走らない理由は何なの?」と読者である私は問いかけられた気がした。それはつまり「あなたは人生をどうやって全力で走り切るか?」という問いと近い気がした。

その圧力のような問いの強さこそが『ひゃくえむ。』の素晴らしい所であり、『ひゃくえむ。』の根本の熱量の高さを生み出していたのだと思う。

そして新作

そして新作である。『チ。-地球の運動について-』。

1巻から引き込まれた。

1巻に出てくる合理的で賢い少年ラファウの取った行為がとても興味深く、気高かった。

端的に言えばラファウは「地動説を取るか、自分の命を守るか」という選択を迫られる。

合理的に生きるのが得意なラファウにとって、本来は非常に簡単な2択だった。しかしラファウは想定外の答えを導く。(詳しくは漫画を読んでください)

私は『チ。-地球の運動について-』にも『ひゃくえむ。』に通ずる哲学があると感じた。

題材は違う。登場人物も違う。けれど魚豊先生の「人生の捉え方」というものが私には同じように伝わってくる。

世界が地動説を認めないなら、ゆっくりと時間をかけて説得していけばいいよね。ではない。

ラファウが問われたのは「自分がどう生き延びるのか」という選択ではなく「この思想(知性)や美学を殺すかどうか」という選択なのだ。

それが例え時代に疎まれてもいいじゃないか。人に嫌われてもいいじゃないか。狂気と言われてもいいじゃないか。

ラファウに「あなたはこの人生をどう気高く生きるの?」と問われている気さえした。

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第1巻は合理性との葛藤

繰り返しになるが、1巻に登場するラファウは非常に合理的な少年だ。

合理的に生きれば、彼はいとも簡単に、軽々とこの世界を生き延びれた。

世の中のルールに従いながら、社会の規範通りに生きる。ラファウはそれが出来る少年。

しかし禁断の”地動説”に惹かれてしまう。

合理的に生きればチョロい世界で、タブーに惹かれてしまった。

そのタブーには美しさがあった。知性があった。さぁ、あなたならどうする。

チョロい世界を合理的に生きるのか。死にも繋がるタブーである地動説を追い求めるのか。

『チ。-地球の運動について-』第1巻はその葛藤の物語であった。

言葉の強さ

少し話が逸れるけれど、私はMOROHAという音楽ユニットが好きだ。

で、魚豊先生の漫画を読んでいるとMOROHAの音楽を聞く時と近い気持ちになる。

ヒリヒリとしたシリアスさがある事、そしてこの短い瞬間を懸命に気高く生きようという思いが伝わる事、に共通点があるのかもしれない。「お前はどうだ?」と問いかけられるような感覚も似ている。

そして何より、言葉が強い。

恐らく考え抜かれて、鍛え抜かれた言葉だから、1つ1つの言葉が強い。

それは魚豊先生の漫画との強烈な共通点だと思う。

ヒリヒリとするセリフ

魚豊先生の漫画には「ヒリヒリとする」セリフが含まれている。

例えば『チ。-地球の運動について-』には

「君は、美しいと思ったか?」

というセリフがある。

私はこの言葉にヒヤッとする。

私が武装した理論やロジックが一見正しかったとして、そこに自分自身は美しさを感じているのか?

これは何かを表現しようとする人にとって、何かを成そうとする人にとって、とても重要な問題である。

美しくないと感じているロジックを積み重ねる事に意味はあるのか。

今、このブログを書いている時も同じである。

ツラツラと書き連ねてしまっているが、この言葉に美しさはあるのか。気高さはあるのか。強さはあるのか。という問題とは常に向き合わなければいけない。

私の言葉にはまだ美しさや強さが足りない。このブログを読んでも魚豊先生の漫画を読みたいと思う人は多くないだろう。それは私がこの美しくて強い作品を言葉にする力が足りないからだ。悔しい。ただただ悔しい。

これからに期待

とまぁ色々とゴチャゴチャと書いたけれど、とにかく私にとっては大切な作品になりそうな漫画が出てきました。というブログでした。

この地動説がどうやって紡がれていくのか、楽しみにしてます。

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