『ONE PIECE』は正義ではなく仁義の話

  • 2020-06-05
  • 2020-06-05
  • 漫画

久しぶりに普通のロニーブログ更新。今回の記事テーマは「改めてONE PIECEを読んでみて気付いた事」。

久しぶりにONE PIECEを読み返してる

今、超久々に『ONE PIECE』を読み返してる。

作者名 :尾田栄一郎

ジャンル:少年マンガ

出版社:集英社

面白いのは分かってるし、昔は何回か読んでたんだけど、今読み返すとまた感覚が違う。

今はテレビとかほとんど見ずに、少しでも時間が空いたら『ONE PIECE』を読んでる。

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ONE PIECEとは正義ではなく仁義の話である

改めて『ONE PIECE』という漫画が最も大切にしている事は何だろう。と考えながら読んでいた。

思い浮かんだのは、「仁義」という言葉だった。

ルフィが何を大切にしているのか。読みながら考える。

『ONE PIECE』ではルフィの心理が描かれる事は無い。ルフィが何を考えているのか、なぜその決断に至ったのか、それは彼の言動からしか探る事は出来ない。

ルフィが何に怒り、何に怒らないのか。それを探りながら読んでみた。

彼は契りのようなものを交わした(あるいは彼自身が一方的に仲間だと思っている)相手が傷ついた時、一番怒る。あくまで”ルフィにとっての仁義”に反した事を誰かがした時に、ルフィは怒る。それがたとえ味方であっても。

ルフィはいつも彼の中の仁義に反しない行動をしているように見えた。

相手の方が正しいとか、正しくないとかは、恐らく彼にとってはどうでもいい。

改めて読み返すまで、私はルフィは「海賊王になるために相手をぶっ飛ばす」あるいは「仲間を傷付けた相手をぶっ飛ばす」という行動原理だと思っていた。しかしもう少し深く探ると、仁義という言葉を使って彼の行動を解釈する方がしっくり来る。

更に「仁義」という言葉について考える。

『ONE PIECE』では「正義」という言葉がたびたび登場する。そして「正義」の解釈は、人や立場や性格や時代によって変わってしまう事も示唆している。だから『ONE PIECE』で「正義」を掲げるキャラクターは、悪い人間に見える事がある。

「正義」は解釈次第で変わってしまう曖昧なものなのに、それを絶対的なものだと信じた途端に悪く見える。たぶんそういう演出をしてる。

おそらく尾田栄一郎先生が大切に描きたいのは、「正義」ではなく「仁義」なのではないかと思った。

この2つの言葉はONE PIECEの作中では二項対立してるようにすら見えた。

「正義」を重んじようとするキャラクター(赤犬やセンゴクなど)は、作中では悪く映りやすい。「仁義」を欠いたキャラクター(黒ひげなど)も、悪く映りやすい。

逆に「仁義」を重んじようとするキャラクター(ルフィや白ひげやスモーカー)は、作中では良いキャラクターに映りやすい。

これは「なぜONE PIECEでは海賊が主人公なのか?」という話にも繋がるのかもしれない。

海賊が悪で、海軍や政府が正義。という価値観や構造自体に疑問を持たせたいのだ。なぜならば、正義は曖昧なものだから。

ならば、キャラクターそれぞれの信念や友情から生まれた仁義の方が信じられるのではないか。そういったメッセージを投げかけられているように感じた。

ルフィの行動は無茶苦茶で無鉄砲に見えるけれど、彼は死ぬことよりも自分の仁義に反する事をする方がきっと怖いのだと思う。

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優しいだけでは何も守れないという事

もう一つ、改めて『ONE PIECE』を読み返していると感心する事がある。

それは「優しいだけでは何も守れない」という事。

チョッパーがヒルルクを救えなかった時も、ルフィがエースを救えなかった時も、残酷ながら「優しいだけでは大切なものは守れない」というシビアなシーンを描いていた。この2つのシーンだけじゃなく、そのような事を感じさせる描写は随所に盛り込まれている。

力が無ければ、知識が無ければ、自分にとって大切なものを守る事は出来ない。それをシビアに描き続けている事にも改めて感心させられた。

だからそれぞれのメンバーがパワーアップする2年間は、絶対に必要な演出だったんだと思った。

これは何も『ONE PIECE』だけに限った話ではなくて、現実世界にもフィードバック出来る。世界を救いたいと、大切な人を守りたいという”願い”だけで大切な何かを守り切る事は出来ないんだろう。

とりとめもないブログになってしまったけれど、今回はこれで終わりです。『ONE PIECE』楽しいよ。

ロニーブログもちょくちょく更新していきます。

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