”曖昧”で”それなり”の生活からの脱却を前にして~12年間の東京での生活を振り返る~

  • 2020-01-17
  • 2020-01-17
  • 雑記

18歳のころ、大学に通うため茨城から上京して12年。あと数日で東京での生活が終わろうとしている。

このブログは、個人的な今の私の心境を綴っておきたい。

なぜ東京に来たのか?

私は高校卒業時、東京の大学に行きたいと思い上京した。望み通り東京の私立大学に合格した。

「なぜ東京に来たのか?」というと、とても曖昧な動機だった。何かをしたい訳ではなく、何かになりたかった訳でもなく、自分の学力相応の大学に漠然と入学したというのが実情。おまけに、「東京の大学に行けば一人暮らしを始められる」という、やや不純な理由もあった。

東京の大学に通って一人暮らしを始めれば、自動的に彼女が出来てオレンジデイズのような楽しいキャンパスライフを送れると思っていた。割と本気で。

でも大学には柴咲コウはおろか白石美帆さえいない。

大学在学中はオレンジデイズのようにはいかなかったけれど、勉強を人並みにして、バイトも人並みにして、”それなり”の生活を送った。

比較的器用な人間ではあるので、就職氷河期と言われる時代でもいくつかの企業から内定をもらった。

しかし就活も大学入試と同じ、曖昧な動機で動いた。

今思えば、自分自身を突き動かす「確固たる情熱」や「目標」のようなものが、20歳前後の私には無かったのだろうと思う。

しかし当時の自分を後悔をしているか、といえばそうでもない。20歳前後の私は目の前の事を精一杯楽しんでいて、長い人生のビジョンやミッションのようなものを考えるには至っていなかったのだと思う。

若い頃から自分の目標を定めているサッカー選手などを見ると、本当に尊敬してしまう。私と彼らの一番の差は、そこだったのだろう。

東京の会社に就職

大学卒業から躓く事なく、22歳で東京の会社に就職した。就活では業界や職種に強い意思があったわけではないので、「内定をもらった会社から選ぶ」という選択によって就職をした。

決して大きい会社ではなかったが、給与水準は平均的なものだったと思う。高くもなく低くもなく。贅沢をすれば金欠になるし、節約をすれば少し余裕が出るような、そんな生活。

同期や後輩は給与に不満を漏らしていたが、私はお金はどうでも良かったのでそれに同調する事は無かった。

会社ではwebマーケティングやら営業やらサービス企画やらの仕事をやらせてもらい、多くのスキルや知識も身についた。有給休暇も取りやすいし、仕事も大してツラくない。人間関係も悪くはない。総じて悪くない。悪くない会社員生活だとは思った。

一方で、この生活や仕事では圧倒的に足りない”何か”が心に見え隠れし始めた。

東京で満員電車に乗って仕事場に向かい、強い意思を持って選んだわけではない仕事を”それなり”の熱量でこなして、また満員電車に乗って帰る。

俺は一体、誰の意思で動いているのだろうか。何のために働いているのだろうか。

日に日に自分の心の中にある違和感は大きくなっていった。

唯一、家に帰ってから見るJリーグの試合やヨーロッパサッカーの試合、休日に友人たちと立ち上げたサッカーチームで過ごす時間だけに「生きている実感」を感じられた。”それなり”ではない充実感が、そこだけにはあった。

自問自答の日々

自分の中の「違和感」に気付き始めたその日から、会社員として働きながら自問自答の日々が続いた。

私は元々、人に相談するのが苦手だ。そもそも自分の人生の事は自分が1番考えている。だから悩みは自問自答の末に1人で解決するのが私のやり方だった。

自問自答の問いは多かった。

”自分の人生の使命は一体何なんだろうか”

”何を成し遂げたくて、そのためには何を犠牲に出来るだろうか”

”会社に通勤するこの足は、誰の意思で動いているのだろうか”

”東京に来た意味や目標は何だったのだろうか”

”転職をした所で私の使命は見つかるのだろうか”

問いを書ききる事は出来ないが、このような問いを1つ1つ重ねていくうちに、自分のこれまでの人生の歩み方の曖昧さに危機感を覚えた。私はここまで真剣に自分と向き合った事が1度も無かった。おそらくこのままでは、”曖昧”なまま、”それなり”のまま、人生が終わっていくであろう事は明白だった。

それは、貧乏になる事よりも、仕事を失う事よりも私にとっては怖い事だった。

経営大学院への入学

そんな日々の中で、社会人向けの経営学の大学院への入学を決意した。

自問自答の中で自分の”曖昧さ”を明確にし、次に進むためのヒントがある気がしたからだ。

昼間に働いて、夜は大学院で勉強。サッカーのブログを始めたのもこの辺りの時期。

とても忙しい日々ではあったが、これまでにない充実感も得られた。私の知らない世界で、私の知らないお金の稼ぎ方(ビジネス)をしている方とも出会えた。もちろん知識も得ることが出来た。

それと同時に、「自分でも新たな事業を始められそう」という勇気も貰えた。

私がこれまで曖昧に生きていた部分を明確にする作業と、ビジネスの知識のインプットを両立させながら、次のステップを模索した。

茨城での挑戦を決意

そして現在。会社員をやめて茨城でUターン起業をする決意をした。

なぜ茨城なのか?

これには理由が色々とある。

まずは「東京にいる理由が無いから」というのは大きい。とても曖昧な理由で東京に来てしまったが、この場所での生活をこれ以上続ける理由は無い。

私は満員電車も高層ビルにもFC東京にも興味は無い。コリドー街や恵比寿横丁にいるナンパ待ちのOLにも興味は無い。

ついでに言えば私の好きなバイクを走らせるにも東京という街の道路は混みすぎている。

自らの使命(ミッション)を設定するにあたって、郷土愛というものは外せなかった。

北海道で始めても良いかもしれないし、沖縄や東南アジアで始めても良いかもしれない。

でも、私は地元の茨城で事業をスタートさせる事に意味を見出した。縁もゆかりもない沖縄で事業を始めるより、茨城で始めたほうがストーリーも乗っかってくる。

茨城は固定費が安いという経済的理由ももちろんある。WEBで事業をするならば、どこに住んでいようがフェアに戦える。

茨城で事業を始めるが、あくまでマーケットは日本全国や世界にしたい。

ちょっと文章が長くなってしまったので事業についてはまたの機会に。

読んでくれてありがとうございます。こちらのブログではサッカー以外の事を書き連ねていきますので、たまに見に来てください。